ン半日公園をうろついたのだったが――。
 草に日光がそそいで音楽が沸き、KOBAKが活躍し、演説が人をあつめて兵隊は恋人と腕を組み、夫婦は寝そべり、子供はいつの間にか柵につかまって独り歩きし、そこにもここにもカクネイの発音が漂って――一くちに言えば英吉利《イギリス》人の好きそうなハイド・パアクの油絵だ。いくぶんでもこの国の人の興味をひくためには、それは何よりも先に出来るだけ平凡であることを必要とする。
 公園を出ようとして石の道へ来たときだった。またすこし憩《やす》もうということになって見廻すと、ちょうどそこに空《あ》いた椅子がふたつ私たちを招いていた。で、腰を下ろしながら気がついたのだが、何だか眼のまえの芝生に粗《まば》らながら人だかりがしている。
 大きな楡《にれ》の木のかげである。
 白ずくめの若い保姆《ほぼ》が乳母車を停めてやすんでいるのだ。
 黒塗りの小さな乗物、そのなかのふっくら[#「ふっくら」に傍点]した白布《リネン》、それらのうえにまんべんなく小枝の交錯を洩れる陽が降って、濃い点が無数に揺れている。乳母車の主《ぬし》の赤ん坊は、白い被《かぶ》り物の下から赤い頬をふくらせ
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