ノ、この広告の主の日本紳士を何とかして下宿人として捕獲しなければならないから、早速私に推薦状《レコメンデイション》を一本書けというのである。これには私も困り入ってしまった。じぶんが嫌《いや》で今にも出ようとしているところを、人に、しかも同胞のひとりに、紹介推薦するということは、論理にも合わなければ、気も咎める。しかし、部屋があいて閉口しているベントレイ夫人は、この下宿人|払底《ふってい》の世の中に日本人だろうが何だろうがそんなことを言ってはいられないし、それに事実、日本人は文句はいわず――じつは言いたくても、一つはその引っこみ思案と、多くは不充分な発表能力とで大がいのことにはただにやにや[#「にやにや」に傍点]笑って黙っているのだが――と、なにしろお金の受授がきちん[#「きちん」に傍点]としているのとで、ここは何とあってもその「若き日本紳士」を生けどりにしたくてたまらない。出来るだけの愛嬌笑いを顔に、そのくせ命令的に両手を腰に厳然と私のまえに直立していて動かないのだ。おまけに言いぐさがいい。
『あなた方は満足しているからこそ私の家《うち》に居るんでしょう? してみれば、じぶんが満足なら当然人に、ことに必要に迫られている同国人に、その満足をしらせて幾分でも分けてやりたいとは思いませんか。』
どうも呆れたものだ――むこう側からヴァレイ夫人が早口にいう。
『書いてやったらいいじゃありませんか。何でもいいから。』
私はベントレイ老夫人に直面して、
『しかし、僕は日本人だから英語じゃ書けない。日本語でいいなら大いにこの家を褒《ほ》めて書こう。』
するとお婆さんが微笑した。日本語でさしつかえないというのだ。
これで助かった私は、そこで、ペンを執ってすらすら[#「すらすら」に傍点]とこういう一文を草したのである。
[#ここから2字下げ]
「宿の主婦があなたの広告を見て、推薦状を書けといってききません。仕方がないのでこうして書き出しましたが、これは決して推薦状ではありません。私も近日移ろうと思っているくらいですから――どっかにいい家はないでしょうか。」
[#ここで字下げ終わり]
そして、こんな手紙に名前は書けないから、と言ってこのままでは署名がないじゃないかとお婆さんが承知しないにきまっているから、おしまいの下のほうへ「早々敬具」とくっつけて、これが私の日本名だと指したら、お婆さんはますますにこにこ[#「にこにこ」に傍点]して、おなじ国の人からこんな立派な推薦状が行くんだから、その日本人はきっと来るにきまっている、と、もう一部屋ふさがったようにほくほく[#「ほくほく」に傍点]もので引き取って行った。
すこし罪だね――私たちはそう言って笑い合っただけで、このことはそのまますぐ忘れてしまった。もっとも時どきは話題にのぼって、
『どうでしょう、あの日本人の人、お部屋を見にくるでしょうか。』
『なあに、ああ言ってやったんですもの、来るもんか。』
などと、そのたびに、お婆さんに対しては意地がわるすぎるが、一つの復讐をした気になって、私たちはすくなからず溜飲を下げていた。が、お婆さんは、広告に出ていた「日本青年紳士」のアドレスへ私の推薦状を同封した一書を即日正確に飛ばしたものに相違ない。
それから二、三日した夕方だった。ベントレイ婆さんが顔色を変えて私たちの部屋の戸をあけて、広告主の日本人が来たから、出てきてこんどはひとつ大いに口で推薦してくれという。何しにまたやって来たんだろう?――といささか憤《いきどお》しく感じながら、ヴァレイ夫人を先に立てて、私が別室へ行ってみると、這入った拍子に、ひとりの色の黒い小さな青年が、ぴょこりと椅子を立っておじぎをした。それが小野さんだった。
『やあ! どうですな、このうちの待遇は? お手紙で見るとあんまり感心しないようですが――。』
ちょっと挨拶がすむと、小野さんはもうじろじろ[#「じろじろ」に傍点]そこらを見まわしている。ベントレイ婆さんは心配そうに小野さんの視線を追いながら、しきりに表情で私に推薦をうながす。が、その哀願を完全に無視して、こうなれば私も日本語だ。
『失礼な手紙をさし上げましたが、どうもこのお婆さんが書け書けといってきかないもんですから――駄目ですよ、こんな家《うち》。なっちゃあいないんです。』
『そうですか。この婆さんはまた無理なことを言いそうなやつですね。白紙やるから文と読め、ですか。はははは、が、白紙じゃあまた承知しますまいしね。それでもこいつ[#「こいつ」に傍点]喜んでたでしょう? てんで何が書いてあるか解らないんだから。』
ここに到ってか、てんで何を言い合ってるんだかわからないもんだから、お婆さんは一そういらいら[#「いらいら」に傍点]してくる。それでも、社交性のために表
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