「とみえて、君と君のゴルフがあらゆる批評を受けている。
『三味線は宜《よ》うがすな。』
いずくからともなく渋い声がする。あちこち見廻して声の出どころを探すと、いつの間にか、商用の重役らしい三人づれが一卓を占めて、牛鍋のアルコホル焜炉《こんろ》をかこんでいるのだった。
『婆さんは残してきても何とも思わんが、三味線だけは手離せんでな。わざわざ持って来ましたが、洋行に三味線でもあるまい言うて、慶応へ行っとる伜《せがれ》なんか大笑いしとりました。なあに、国民音楽だから構わん、こう頑張って一挺トランクへ入れてきたんだが、さて、いざとなるとどうもホテルじゃ鳴らせませんわい。気分になれん。出して弄《いじ》ってみるのが関の山で、いまでは荷厄介《にやっかい》です。』
こう言って、非常に荷厄介らしい顔で食堂じゅうを見わたしている。
べつの方角からべつの声がする。
『佐々木さんの奥さん思いったら君、一週間奥さんから手紙がこないと、君、あいつどうしたんだろうねえってとても[#「とても」に傍点]真面目な顔で俺んとこへ相談に来るんだからなあ――やりきれねえよ俺も。』
『相手になるな相手に。佐々木のやつ、この頃どうかしてるんだよ。』
ひとりがごく簡単に佐々木さんを退治してしまう。そのほか、日本人は声が高いから、聞くまいとしても色んな話が自然と私の鼓膜を訪れる。この二、三秒間に聞えて来るはなし声を構成派的に並べてみてもこうなる。
『いや、それではかえって恐れ入りまするから、ええ、伯林《ベルリン》のほうは伯林のほうと致しまして、ええこちらはわたくしが――。』
『電報でさ――と言って来たろう。困ったね僕も――何しろ切符は買ったあとだし――。』
『は。名古屋でございます。いえ工場は大阪でございますが、どうも事業の中心が。』
『君、酒、呑《や》るかい? ビイル?』
『伊太利《イタリー》はどうも人気が悪くて、ムッソリニなんて大山師ですよ。』
『娘は、ことし県立を出まして、女のくせに洋画のほうへ進みたい――。』
『僕は思うんだが、日米戦争は、だね――。』
『おい、君、君、ボウイさん! ここはどうしたんだい。え、ああ。玉子焼きさ、一人前。』
そうしてむこうではのべつ[#「のべつ」に傍点]幕なしに、
『うな丼ワン!』
であり、
『白和《しらあ》え出来ますか。イエス! ツウ・プリイズ!』
なのだ。
このこんとん[#「こんとん」に傍点]たる模型日本の環境のなかから、外部に拡がるろんどんの世界をうかがっていると、そのあまりに浮き立っている独自性が頭から私をとらえて、一種異様な気もちが雲のように覆いかぶさってくるのを意識する。
日本! 日本! 東の海のはてに何から何まですっかり他と異った社会と生活を保持している日本! 変っていることは何かを意味しなければならない。この、変りすぎるくらい変っている日本こそは、その、こんなにかわっているところから見ても、たしかに世界の人類にひとつの使命をもたらそうとしている種子《たね》――種子《たね》だから形は小さい。が、それだけ包蔵する力は大きい――に相違ない、と。
これは決して単なる安価な愛国的感傷でもなければ、珍しくしこたま[#「しこたま」に傍点]日本料理をつめこんだために急に気が強くなっての言でもない。じっさい、こうやってあちこち動いて国と山と人を見ればみるほど、日本人ほど深い感情、高いこころもちに生きている人間は、どこの野、どこの谷にも棲息していないことを私は一そう確めるばかりだ。
旅は驚異を求めて絶えず前進をうながす。が、その旅の提供し得るあらゆる驚異に慣れてしまうと、私は、いまさらのように自分の残してきた孤島を振りかえって、そこに大きな大きな無数の驚異を発見している。
日本! 早い話が、この眼前の食物一つでもわかるように、何というユニイクな国土!
と、私が、自分の食べあらした皿を眺めて他人《ひと》ごとのように感心していると、むこうの卓子《テーブル》から見識《みし》らぬ日本紳士が立ってきて慇懃《いんぎん》に礼をした。
『ええ、ちょっと伺いますが――。』
『はあ。』
『わたくしは今朝《けさ》チェッコスロバキヤから着きましたもので。』
『は。』
『ここははじめてですが――あのう、ボウイのチップはどうなっておりましょう? 一割勘定書について参りますか。それとも別に――。』
『べつに置くようです。私はいつも一割やりますが――。』
『あ、そうですか。どうも有難うございました。』
『いえ。どう致しまして。』
そうかと思うと、あっちの隅では二同胞のあいだに先刻《さっき》から大論判がはじまっている。
『諾威《ノールウエー》も瑞典《スエーデン》も旅券の査証は要らないんだ。』
『そうかなあ。どっちだったか確か要る国があったと思うがな
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