いる私は、まぶたのうらに、太陽の接吻にめぐまれた日本の五月の思い出をころがしている。眼をつぶると、ひとりでに日本と日本の日光が浮かび出てくるのだ。五月と言えば、わがにほん[#「にほん」に傍点]国では風もないのにひらひら[#「ひらひら」に傍点]と「サクラ」が散り、桜の梢から Hiroshige の Fuji−Yama がほほえみ、ひるがえる燕《つばめ》と女の袂《たもと》・気の早い麦藁帽とぱらそる――が、現実の私のまえには、窓枠のなかの雨の風景画が二枚、まるで美術館のように並んで壁にひらいているきりだ。
 石と鉄と石炭の巨大な暗黒の底に白いしぶき[#「しぶき」に傍点]をあげて、くろ光りにひかる道路に、驀進《ばくしん》する自動車の灯火がながく流れている。そこには、空気のかわりに蒼然たる水滴が濃く宙を占めて、こうして見ていると、まるで私たちじしんが魚類に化身したような気がする。またしても私のこころに日本の新緑が萌え上ってくる。私は彼女を見た。彼女は煖炉《だんろ》のまえにしゃがんでしきりに石炭の火をくずしている。
 で、私はやはり私の窓へかえる。があっ[#「があっ」に傍点]という音が走ったかと、
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