。それだって同居人と日用品商人の手垢で黒くよごれた木の門から、呼鈴のこわれたままになっている入口のあいだには、芝生のかわりに赤土と石ころがあって、重病人のような林檎《りんご》の樹の下に忘れな草が咲いていた。うしろの庭は塵埃すて場だった。そして朝晩はどの家からも不健康な料理油のにおいと赤んぼの泣声とが、五月の雨とともに街路に面する窓という窓のかあてん[#「かあてん」に傍点]をそよがせていた。風雨に着色された木柵のところどころを、真あたらしい板で不器用に修繕したあとが、うすあかりのなかにまるで傷口のように生々しかった。塀にそって金いろの水蝋樹《いばた》が芽をそろえていた。ことによると、雨を浴びたそのあざやかな黄が瓦斯《ガス》灯の光線に反射して、それでこうも夜の室内が明るいのかも知れなかったが、この頃のロンドンは午後の九時十時がまだ夕ぐれの色なのだ。そのうえ三時にはもうぼうっ[#「ぼうっ」に傍点]とした朝の気が雨といっしょに青っぽく漂いわたって、牛乳配達の馬のひづめが地流れのする固い石畳を鳴らして過ぎる。つぎには、黒人のような石炭屋が大型貨物自動車に山とつんだ石炭ぶくろの上に突っ立って、むか
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