A敵ながら天晴《あっぱ》れとは言えないのだ。私から見ると、この場合、日本のその陶工のほうが一枚も二枚も役者がうえである。一境地に達している。この話をそのままに取っても、この勝負、あきらかにかれの勝ちだ。下宿の食卓で同席のいぎりす人からこの笑話を聞いたとき、私はいみじくもなせるものかなと大いにうれしく思った。が、私は黙っていた。いくら論じたって彼らには金輪際《こんりんざい》わかりっこないことを知っているからだ――私は紳士的微笑とともにしずかに麺麭《パン》をむしりながら話題を転じただけだった。
 日本と言えば――。
 たいがい英吉利《イギリス》人が――それもかなり知識階級の人でさえ――日本に関してじつに何も知らない。いや、知ろうとしない――いぎりすの可哀そうな自己満足がここにもあらわれて――事実には、じつに驚かされる場合が多い。だから私たちは、いつ何どきどんな奇問を浴びせられても動じないだけの用心をつねに必要とする。ちょっと親しくなるが早いか、すぐこうだ。
『日本の家はいまでも紙で出来ていますか。』
『梯子《はしご》段も紙製ですか。いつも不思議に思うんですけれど、どうして紙の階段で昇ったり
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