蛯ネ責任にいささか身体《からだ》を硬《こわ》ばらせていた、と告白したほうがいいかも知れない。つまり、すくなからず気取っていたのである。
 公衆のまえで気取ると私は顔面から水蒸気を発散するのがつねだ。ことにその日は暑かったので、私は、鏡のなかの私からぽっぽと湯気が立っているのを見た。
 ちょうど客一同のあいだに不自然な沈黙がつづいている最中だった。無言でいることの苦痛な床屋は、私の水蒸気に気がついたのを機会に、それを利用して、ちょっと変なその場の空気を救うべく、えへん! と一つ英語で咳払いしてから直接私へ話頭を向ける。
『お暑うございますな今日は。』
 べつに反対すべき理由もないから、私もかるく同意の旨を発表する。
『然り。何と暑き日でこんにちのあることよ!』
『全くこうあつくちゃあやり切れませんな――しかし、こんなのはそう長くは続きませんよ。きっと、また明日あたりみんな外套を着るでしょう、へへへへ。なあデック!――と大きな声でデックへ――ロンドンの天気だけあわからねえなあ。』
『そうよ。ロンドンの天気だけあからきし[#「からきし」に傍点]わからねえ。』
 順番を待っているデックが答える
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