ざるを得ざる也。然るに人類は是非を判ずるの理性を有し、善惡を別つの道念を具《そな》ふ。是に於てか其の本能は一方に於て其の自由の發動を制限せらるゝ代りに、他方に於ては其の滿足の持續に於て遙に他動物に優るものあり。是れ他動物に對して人類の幸福の比較的に恆久なるを得る所以也。畢竟知識と道徳とは盲目なる本能の指導者のみ、助言者のみ、本能は君主にして知徳は臣下のみ、本能は目的にして知徳は手段のみ。知徳其物は決して人生の幸福を成すものに非ざる也。
道徳が一方便に過ぎざることは、其の極度の無道徳に存することにても知らるべけむ。道徳は善を獎勵す、而して善は戮力を須要とす。あゝ戮力を待つて成立し得べき道徳は卑しむべき哉。戮力は障害を排斥するの謂なり。善事を行はむとする際の内心の障害は即ち惡念也。善|既《すで》に戮力を待つて成立すべしとせば、善事は其の行爲者に於て既に惡念を預想するものに非ずや。換言すれば、彼は多少の意味に於て惡人たる也、不道徳の人たる也。天下の善人盡く惡人たりとせば、吾人|豈《あに》道徳の鼎の輕重を問はざるを得むや。是《こゝ》を以て道徳の理想は戮力なくして成立し得るものならざるべからず
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