つむ》がざれども、尚ほ好く舞ひ好く歌ふに非ずや。
 道徳と知識とは人類の特有に係ると雖も、畢竟吾人が本能の滿足に對して必須の方便たるに過ぎざること、既に説けるが如し。然れども是の如き煩瑣なる方便を待つて初めて得らるべき幸福は、吾人にとりて甚だ高價なるものに非ずや。人の虚榮を好むや、禽獸の卑しむべきを知りて、其の羨むべきを悟らず、漫りに道義を衒ひ知識を誇るも、人生の歸趣に至りては茫然として思ふところなし。五十年の短き生涯は、是の如くにして※[#「つつみがまえ+夕」、第3水準1−14−76]忙の間に勞し去らるゝを見ては、吾人豈惆悵たらざるを得むや。蓋し今の世にありて人生本來の幸福を求めむには、吾人の道徳と知識とは餘りに煩瑣にして又餘りに迂遠なるに過ぐ。夫《か》の道學先生の如き、若し眞に世道人心の爲に計らむと欲せば、須らく率先して今日の態度を一變せざるべからず。
 嗚呼、憫むべきは餓えたる人に非ずして、麺包の外に糧なき人のみ。人性本然の要求の滿足せられたるところ、其處には、乞食の生活にも帝王の羨むべき樂地ありて存する也。悲むべきは貧しき人に非ずして、富貴の外に價値を解せざる人のみ。吾人は戀愛
前へ 次へ
全18ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高山 樗牛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング