[#底本では「變愛」]は美的生活の最も美はしきものの一乎。是の憂患に充《み》てる人生に於て、相愛し相慕へる年少男女が、薔薇花《ばら》かをる籬の蔭、月の光あかき磯のほとりに、手を携へて互に戀情を語り合ふ時、其の樂みや如何ならむ。彼等の爲す所を以て痴態と笑ふ勿れ。かゝる痴態は眞に人を羨殺するに足るものならずや。一旦世事意の如くならず、思ひしことは泡の如く消えて、運命、鐵の如く彼等の間を斷たむとする時、百年の命を以て一日の情に殉し、相擁して莞爾として死に就くが如きは、人生何物の至樂か能く是れに類《たぐ》ふべき。道學先生の見地よりすれば、戀愛[#底本では「變愛」]の如きは青春の迷ひに過ぎざらむ、然れども是の如き迷ひは醒めたるものにとりては永遠の悔恨に非ざるべき乎。
昔者、印度に瑜伽《ヨーガ》と稱する苦行の學徒ありき。彼等の爲すところは實に今の人を戰慄せしむるに足るものなりき。而かも是の如き苦行は彼等にとりて即ち解脱の道也、無上の淨樂也。彼等は是の無上の道に就かむが爲に、其の一指を擧げて輙ち捉へ得べかりしもろ/\の人生の逸樂を斥けて悔ゆる所なかりし也。近くはトラピストの例に見よ。彼等は無言の行
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