。古の忠臣義士、孝子烈婦の遺したる幾多の美談は、道徳の名によりて傳はれりと雖も、實は一種の美的行爲のみ。彼等の其の道に就くや、鳥の塒《ねぐら》に歸るが如かりしのみ。其の心事や渾然たり、豈其の間に目的と手段とあらむや。
眞理其物の考察を以て無上の樂みとなし、何が故に眞理を考察するかてふ本來の目的を遺却するものも亦知識的生活を超脱して美的生活の範圍に入れるもの也。眞正なる學者の眼より見れば、是の如き人は其の爲すべきことを忘れたる一學究に過ぎざらむのみ。然れども彼は眞正なる學者の享受し難き滿足を、其の學術より獲得し得る也。
世に守錢奴と稱するものあり、彼は金錢を貯ふるを以て人生の至樂となす。是れ明に金錢本來の性質を遺却し、手段を以て目的と誤認したるものなるを以て、道徳上の痴人たるを免れざるべし。而かも金錢其物を以て人生の目的と信じたる彼は、學術其物を以て人生の目的と認めたる學者の如く、既に美的生活中の人たる也。守錢奴は決して吾人の好む所に非ずと雖も、守錢奴自らにとりては、金錢は彼れの安心也、至福也。吾人は彼れの心事を憐むと同時に、深く名教の外に得たる彼れの樂地を嫉まずむばあらず。
戀愛
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