、是を外にして何處にか求むべき。道徳や、知識や、是の幸福を調攝して、其の發達を助成するところに用あり。其の用や消極的たり、相對的たり、方便たり、手段たり。夫《か》の僞學と云ひ、腐儒と云ひ、方便主義と云ふが如きものは、畢竟是の人生の歸趣に關する本末を顛倒したるところに生ずる病的現象に外ならざるのみ。
是の如く説き來らば、讀者は其の世上道學先生の所説と甚《はなは》だ同じからざるを怪まむ。然れども讀者よ、吾人は何の宿罪ありて道學先生の云爲に傚はざるべからざる乎。
六 美的生活の事例
上文を説けるが如く、價値の絶對なるもの、是を美的と爲し、美的價値の最も醇粹なるもの、是を本能の滿足と爲す。然れども本能以外の事物と雖も、其の價値の絶對と認めらるゝものは亦美的たるを妨げず。是《こゝ》に於てか美的生活の範圍も亦隨うて本能の滿足以外に擴充せらるゝことを得。
例へば、道徳は相對の價値を有するを以て本來の性質と爲す。然れども若し人ありて道徳其物に絶對の價値ありと爲し、其の奉行を以て人生究竟の目的なりとなさば、是れ既に道徳的に非ずして、美的也。是の如き人の態度は、實際的に非ずして翫賞的也
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