あ》はで果《は》つべき。花の盛りは僅に三日にして、跡の青葉《あをば》は何《いづ》れも色同じ、あでやかなる女子の色も十年はよも續かぬものぞ、老いての後に顧れば、色めづる若き時の心の我ながら解《わか》らぬほど癡《たは》けたるものなるぞ。過ちは改むるに憚る勿れとは古哲の金言、父が言葉|腑《ふ》に落ちたるか、横笛が事思ひ切りたるか。時頼、返事のなきは不承知か』。
 今まで眼を閉ぢて默然《もくねん》たりし瀧口は、やうやく首《かうべ》を擡《もた》げて父が顏を見上げしが、兩眼は潤《うるほ》ひて無限の情を湛《たゝ》へ、滿面に顯せる悲哀の裡《うち》に搖《ゆる》がぬ決心を示し、徐《おもむ》ろに兩手をつきて、『一一道理ある御仰《おんおほせ》、横笛が事、只今限り刀にかけて思ひ切つて候、其の代りに時頼が又の願ひ、御聞屆《おんきゝとゞけくだ》下さるべきや』。左衞門は然《さ》さもありなんと打點頭《うちうなづ》き、『それでこそ茂頼が悴《せがれ》、早速の分別、父も安堵したるぞ、此上の願とは何事ぞ』。『今日より永のおん暇《いとま》を給はりたし』。言ひ終るや、堰止《せきと》めかねし溜涙《ためなみだ》、はら/\と流しぬ。

   第九

 天にも地にも意外の一言に、左衞門呆れて口も開かず、只々其子の顏色打ち※[#「※」は「めへん+帝」、読みは「まも」、28−2]《まも》れば、瀧ロは徐ろに涙を拂ひ、『思ひの外なる御驚《おんおどろき》きに定めて浮《うわ》の空《そら》とも思《おぼ》されんが、此願ひこそは時頼が此座の出來心《できごゝろ》にては露候《つゆさふら》はず、斯かる曉にはと豫《かね》てより思決《おもひさだ》めし事に候。事の仔細を申さば、只々御心に違《たが》ふのみなるべけれども、申さざれば猶ほ以て亂心の沙汰とも思召《おぼしめ》されん。申すも思はゆげなる横笛が事、まこと言ひ交《かは》せし事だになけれども、我のみの哀れは中々に深さの程こそ知れね、つれなき人の心に猶更《なほさ》ら狂ふ心の駒を繋がむ手綱《たづな》もなく、此の春秋《はるあき》は我身ながら辛《つら》かりし。神かけて戀に非ず、迷に非ずと我は思へども、人には浮氣とや見えもしけん。唯々|劒《つるぎ》に切らん影もなく、弓もて射ん的《まと》もなき心の敵に向ひて、そも幾《いく》その苦戰をなせしやは、父上、此の顏容《かほかたち》のやつれたるにて御推量下されたし。時頼が六尺の體によくも擔《にな》ひしと自らすら駭く計りなる積り/\し憂事《うきこと》の數、我ならで外に知る人もなく、只々戀の奴よ、心弱き者よと世上《せじやう》の人に歌はれん殘念さ、誰れに向つて推量あれとも言はん人なきこそ、返す返すも口惜しけれ。此儘の身にては、どの顏|下《さ》げて武士よと人に呼ばるべき、腐れし心を抱《いだ》きて、外見ばかりの伊達《だて》に指さん事、兩刀の曇なき手前に心とがめて我から忍びず、只々此上は横笛に表向き婚姻を申入るゝ外なし、されどつれなき人心、今更靡かん樣もなく、且や素性《すじやう》賤《いや》しき女子なれば、物堅き父上の御容《おんゆる》しなき事|元《もと》より覺悟候ひしが、只々最後の思出《おもひで》にお耳を汚したるまでなりき。所詮天魔に魅入《みい》られし我身の定業《ぢやうごふ》と思へば、心を煩はすもの更になし。今は小子《それがし》が胸には横笛がつれなき心も殘らず、月日と共に積りし哀れも宿さず、人の恨みも我が愛《いつく》しみも洗ひし如く痕なけれども、殘るは只々此世の無常にして頼み少きこと、秋風の身にしみ/″\と感じて有漏《うろ》の身の換へ難き恨み、今更|骨身《ほねみ》に徹《こた》へ候。惟《おもんみ》れば誰が保ちけん東父西母が命《いのソ》、誰が嘗《な》めたりし不老不死の藥、電光の裏に假の生を寄せて、妄念の間に露の命を苦しむ、愚《おろか》なりし我身なりけり。横笛が事、御容しなきこと小子《それがし》に取りては此上もなき善知識。今日《けふ》を限りに世を厭ひて誠の道に入り、墨染の衣《ころも》に一生を送りたき小子《それがし》が決心。二十餘年の御恩の程は申すも愚《おろか》なれども、何れ遁《のが》れ得ぬ因果の道と御諦《おんあきらめ》ありて、永《なが》の御暇《おんいとま》を給はらんこと、時頼が今生《こんじやう》の願に候』。胸一杯の悲しみに語《ことば》さへ震へ、語り了ると其儘、齒根《はぐき》喰ひ絞《しば》りて、詰《き》と耐ゆる斷腸の思ひ、勇士の愁歎、流石《さすが》にめゝしからず。
 過ぎ越《こ》せし六十餘年の春秋、武門の外を人の住むべき世とも思はず、涙は無念の時出づるものぞと思ひし左衞門が耳に、哀れに優しき瀧口が述懷の、何として解《と》かるべき。歌詠《うたよ》む人の方便とのみ思ひ居し戀に惱みしと言ふさへあるに、木の端《はし》とのみ嘲りし世捨人《よすてびと》が現在我子の願
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