瀧口入道
高山樗牛
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)やがて來《こ》む
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)華冑攝※[#「※」は「たけかんむり+録」、読みは「ろく」、第3水準1−89−79、3−6]《くわちゆうせつろく》
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)さ/\傍若無人の振舞《ふるまひ》
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
※底本では、「愈々」「稍々」「熟々」「只々」「偶々」「唯々」「屡々」「轉々」「抑々」「略々」の「々」は二の字点(面区点番号1−2−22)が使用されている。
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第一
やがて來《こ》む壽永《じゆえい》の秋の哀れ、治承《ぢしよう》の春の樂みに知る由もなく、六歳《むとせ》の後に昔の夢を辿《たど》りて、直衣《なほし》の袖を絞りし人々には、今宵《こよひ》の歡曾も中々に忘られぬ思寢《おもひね》の涙なるべし。
驕《おご》る平家《へいけ》を盛りの櫻に比《くら》べてか、散りての後の哀れは思はず、入道相國《にふだうしやうこく》が花見の宴とて、六十餘州の春を一夕《いつせき》の臺《うてな》に集めて都《みやこ》西八條の邸宅。君ならでは人にして人に非ずと唱《うた》はれし一門の公達《きんだち》、宗徒《むねと》の人々は言ふも更《さら》なり、華冑攝※[#「※」は「たけかんむり+録」、読みは「ろく」、第3水準1−89−79、3−6]《くわちゆうせつろく》の子弟《してい》の、苟も武門の蔭を覆ひに當世の榮華に誇らんずる輩《やから》は、今日《けふ》を晴《はれ》にと裝飾《よそほ》ひて綺羅星《きらほし》の如く連《つらな》りたる有樣、燦然《さんぜん》として眩《まばゆ》き許《ばか》り、さしも善美を盡せる虹梁鴛瓦《こうりやうゑんぐわ》の砌《いしだゝみ》も影薄《かげうす》げにぞ見えし。あはれ此程《このほど》までは殿上《てんじやう》の交《まじはり》をだに嫌はれし人の子、家の族《やから》、今は紫緋紋綾《しひもんりよう》に禁色《きんじき》を猥《みだり》にして、をさ/\傍若無人の振舞《ふるまひ》あるを見ても、眉を顰《ひそ》むる人だに絶えてなく、夫れさへあるに衣袍《いはう》の紋色《もんしよく》、烏帽子のため樣《やう》まで萬六波羅樣《よろづろくはらやう》をまねびて時知り顏なる、世は愈々平家の世と覺えたり。
見渡せば正面に唐錦《からにしき》の茵《しとね》を敷ける上に、沈香《ぢんかう》の脇息《けふそく》に身を持たせ、解脱同相《げだつどうさう》の三衣《さんえ》の下《した》に天魔波旬《てんまはじゆん》の慾情を去りやらず、一門の榮華を三世の命《いのち》とせる入道清盛、さても鷹揚《おうやう》に坐せる其の傍には、嫡子《ちやくし》小松の内大臣重盛卿、次男中納言宗盛、三位中將|知盛《とももり》を初めとして、同族の公卿十餘人、殿上三十餘人、其他、衞府諸司數十人、平家の一族を擧げて世には又人なくぞ見られける。時の帝《みかど》の中宮《ちゆうぐう》、後に建禮門院と申せしは、入道が第四の女《むすめ》なりしかば、此夜の盛宴に漏れ給はず、册《かしづ》ける女房曹司《にようばうざうし》は皆々晴の衣裳に奇羅を競ひ、六宮《りくきゆう》の粉黛《ふんたい》何れ劣らず粧《よそほひ》を凝《こ》らして、花にはあらで得ならぬ匂ひ、そよ吹く風毎《かぜごと》に素袍《すはう》の袖を掠《かす》むれば、末座に竝《な》み居る若侍等《わかざむらひたち》の亂れもせぬ衣髮をつくろふも可笑《をか》し。時は是れ陽春三月の暮、青海《せいかい》の簾高く捲き上げて、前に廣庭を眺むる大弘間、咲きも殘らず散りも初《はじ》めず、欄干《おばしま》近く雲かと紛《まが》ふ滿朶の櫻、今を盛りに匂ふ樣《さま》に、月さへ懸《かゝ》りて夢の如き圓《まどか》なる影、朧に照り渡りて、滿庭の風色《ふうしよく》碧紗に包まれたらん如く、一刻千金も啻ならず。内には遠侍《とほざむらひ》のあなたより、遙か對屋《たいや》に沿うて樓上樓下を照せる銀燭の光、錦繍の戸帳《とちやう》、龍鬢の板疊に輝きて、さしも廣大なる西八條の館《やかた》に光《ひかり》到らぬ隈《くま》もなし。あはれ昔にありきてふ、金谷園裏《きんこくゑんり》の春の夕《ゆふべ》も、よも是には過ぎじとぞ思はれける。
饗宴の盛大善美を盡せることは言ふも愚《おろか》なり、庭前には錦の幔幕を張りて舞臺を設け、管絃鼓箏の響は興を助けて短き春の夜の闌《ふ》くるを知らず、豫《かね》て召し置かれたる白拍子《しらびやうし》の舞もはや終りし頃ほひ、さと帛《きぬ》を裂くが如き四絃一撥の琴の音に連《つ》れて、繁絃急管のしらべ洋々として響き亙れば、堂上堂下|俄《にはか》
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