に動搖《どよ》めきて、『あれこそは隱れもなき四位の少將殿よ』、『して此方《こなた》なる壯年《わかうど》は』、『あれこそは小松殿の御内《みうち》に花と歌はれし重景殿よ』など、女房共の罵り合ふ聲々に、人々|等《ひと》しく樂屋《がくや》の方を振向けば、右の方より薄紅《うすくれなゐ》の素袍《すほう》に右の袖を肩脱《かたぬ》ぎ、螺鈿《らでん》の細太刀《ほそだち》に紺地の水の紋の平緒《ひらを》を下げ、白綾《しらあや》の水干《すゐかん》、櫻萌黄《さくらもえぎ》の衣《ぞ》に山吹色の下襲《したがさね》、背には胡※[#「※」は「たけかんむり+録」、読みは「ぐひ」、第3水準1−89−79、5−8]《やなぐひ》を解《と》きて老掛《おいかけ》を懸け、露のまゝなる櫻かざして立たれたる四位の少將|維盛《これもり》卿。御年|辛《やうや》く二十二、青絲《せいし》の髮《みぐし》、紅玉《こうぎよく》の膚《はだへ》、平門《へいもん》第一の美男《びなん》とて、かざす櫻も色失《いろう》せて、何れを花、何れを人と分たざりけり。左の方よりは足助《あすけ》の二郎重景とて、小松殿恩顧の侍《さむらひ》なるが、維盛卿より弱《わか》きこと二歳にて、今年|方《まさ》に二十《はたち》の壯年《わかもの》、上下同じ素絹《そけん》の水干の下に燃ゆるが如き緋の下袍《したぎ》を見せ、厚塗《あつぬり》の立烏帽子に平塵《ひらぢり》の細鞘なるを佩《は》き、袂豐《たもとゆたか》に舞ひ出でたる有樣、宛然《さながら》一幅の畫圖とも見るべかりけり。二人共に何れ劣らぬ優美の姿、適怨清和、曲《きよく》に隨つて一絲も亂れぬ歩武の節、首尾能く青海波《せいがいは》をぞ舞ひ納めける。滿座の人々感に堪へざるはなく、中宮《ちゆうぐう》よりは殊に女房を使に纏頭《ひきでもの》の御衣《おんぞ》を懸けられければ、二人は面目《めんもく》身に餘りて退《まか》り出でぬ。跡にて口善惡《くちさが》なき女房共は、少將殿こそ深山木《みやまぎ》の中の楊梅、足助殿《あすけどの》こそ枯野《かれの》の小松《こまつ》、何れ花も實《み》も有る武士《ものゝふ》よなどと言い合へりける。知るも知らぬも羨まぬはなきに、父なる卿の眼前に此《これ》を見て如何許《いかばか》り嬉しく思い給ふらんと、人々上座の方を打ち見やれば、入道相國の然《さ》も喜ばしげなる笑顏《ゑがほ》に引換《ひきか》へて、小松殿は差し俯《うつぶ》きて人に面《おもて》を見らるゝを懶《ものう》げに見え給ふぞ訝《いぶか》しき。

   第二

 西八條殿《にしはちでうでん》の搖《ゆら》ぐ計りの喝采を跡にして、維盛・重景の退《まか》り出でし後に一個の少女《をとめ》こそ顯はれたれ。是ぞ此夜の舞の納めと聞えければ、人々|眸《ひとみ》を凝らして之を見れば、年齒《とし》は十六七、精好《せいがう》の緋の袴ふみしだき、柳裏《やなぎ》の五衣《いつゝぎぬ》打ち重ね、丈《たけ》にも餘る緑の黒髮|後《うしろ》にゆりかけたる樣は、舞子白拍子の媚態《しな》あるには似で、閑雅《しとやか》に※[#「※」は「くさかんむり」の下に「月+曷」、第3水準1−91−26、7−1]長《らふた》たけて見えにける。一曲《いつきよく》舞ひ納む春鶯囀《しゆんあうてん》、細きは珊瑚を碎く一雨の曲、風に靡けるさゝがにの絲輕く、太きは瀧津瀬《たきつせ》の鳴り渡る千萬の聲、落葉《おちば》の蔭《かげ》に村雨《むらさめ》の響《ひゞき》重《おも》し。綾羅《りようら》の袂ゆたかに飜《ひるがへ》るは花に休める女蝶《めてふ》の翼か、蓮歩《れんぽ》の節《ふし》急《きふ》なるは蜻蛉《かげろふ》の水に點ずるに似たり。折らば落ちん萩の露、拾《ひろ》はば消えん玉篠《たまざゝ》の、あはれにも亦|婉《あで》やかなる其の姿。見る人|※[#「※」は「りっしんべん+夢」と同義、「夢の夕部分を目に置き換えたもの」、読みは「ぼう」、第4水準2−12−81、7−5」然《ぼうぜん》として醉へるが如く、布衣《ほい》に立烏帽子せる若殿原《わかとのばら》は、あはれ何處《いづこ》の誰《た》が女子《むすめ》ぞ、花薫《はなかほ》り月霞む宵の手枕《たまくら》に、君が夢路《ゆめぢ》に入らん人こそ世にも果報なる人なれなど、袖褄《そでつま》引合ひてののしり合へるぞ笑止《せうし》なる。
 榮華の夢に昔を忘れ、細太刀の輕さに風雅の銘を打ちたる六波羅武士の腸をば一指の舞に溶《とろか》したる彼の少女の、滿座の秋波《しうは》に送られて退《まか》り出でしを此夜の宴の終《はて》として、人々思ひ思ひに退出し、中宮もやがて還御《くわんぎよ》あり。跡には春の夜の朧月、殘り惜げに欄干《おばしま》の邊《ほとり》に蛉※[#「※」は「あしへん+并」、読み「ら」、7−10]《さすら》ふも長閑《のど》けしや。
 此夜、三條大路《さんでうおほぢ》を左に、御所《
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