のみ秀で、凄きほど色|蒼白《あを》みて濃《こまや》かなる雙の鬢のみぞ、愈々其の澤《つや》を増しける。氣向《きむ》かねばとて、病と稱して小松殿が熊野參寵の伴《とも》にも立たず、動《やゝ》もすれば、己が室に閉籠りて、夜更くるまで寢もやらず、日頃は絶えて用なき机に向ひ、一|穗《すゐ》の燈《ともしび》挑《かゝ》げて怪しげなる薄色の折紙《をりがみ》延べ擴げ、命毛《いのちげ》の細々と認むる小筆の運び絶間なく、卷いてはかへす思案の胸に、果は太息《といき》と共に封じ納むる文の數々《かず/\》、燈の光に宛名を見れば、薄墨の色の哀れを籠めて、何時の間に習ひけん、貫之流《つらゆきりう》の流れ文字に『横笛さま』。
 世に艷《なまめ》かしき文てふものを初めて我が思ふ人に送りし時は、心のみを頼みに安からぬ日を覺束なくも暮らせしが、籬に觸るゝ夕風のそよとの頼《たより》だになし。前もなき只の一度に人の誠のいかで知らるべきと、更に心を籠めて寄する言の葉も亦|仇《あだ》し矢の返す響もなし。心せはしき三度《みたび》五度《いつたび》、答なきほど迷ひは愈々深み、氣は愈々狂ひ、十度、二十度、哀れ六尺の丈夫《ますらを》が二つなき魂をこめし千束《ちづか》なす文は、底なき谷に投げたらん礫《つぶて》の如く、只の一度の返り言《ごと》もなく、天《あま》の戸《と》渡《わた》る梶の葉に思ふこと書く頃も過ぎ、何時《いつ》しか秋風の哀れを送る夕まぐれ、露を命の蟲の音の葉末にすだく聲悲し。

   第六

 思へば我しらで戀路《こひぢ》の闇に迷ひし瀧口こそ哀れなれ。鳥部野《とりべの》の煙絶ゆる時なく、仇し野の露置くにひまなき、まゝならぬ世の習はしに漏るゝ我とは思はねども、相見ての刹那に百年《もゝとせ》の契をこむる頼もしき例《ためし》なきにもあらぬ世の中に、いかなれば我のみは、天の羽衣《はごろも》撫で盡《つく》すらんほど永き悲しみに、只々|一時《ひととき》の望みだに得協《えかな》はざる。思へば無情《つれな》の横笛や、過ぎにし春のこのかた、書き連《つら》ねたる百千《もゝち》の文に、今は我には言殘せる誠もなし、良《よ》しあればとて此上短き言の葉に、胸にさへ餘る長き思を寄せん術《すべ》やある。情《つれ》なの横笛や、よしや送りし文は拙くとも、變らぬ赤心《まこと》は此の春秋の永きにても知れ。一夜の松風に夢さめて、思寂《おもひさび》しき衾《ふすま》の中に、我《わが》ありし事、薄《すゝき》が末の露程も思ひ出ださんには、など一言《ひとこと》の哀れを返さぬ事やあるべき。思へば/\心なの横笛や。
 然《さ》はさりながら、他《あだ》し人の心、我が誠もて規《はか》るべきに非ず。路傍《みちのべ》の柳は折る人の心に任《まか》せ、野路《のぢ》の花は摘む主《ぬし》常ならず、數多き女房曹司の中に、いはば萍《うきくさ》の浮世の風に任する一女子の身、今日は何れの汀に留まりて、明日《あす》は何處の岸に吹かれやせん。千束《ちづか》なす我が文は讀みも了らで捨てやられ、さそふ秋風に桐一葉の哀れを殘さざらんも知れず。況《まし》てや、あでやかなる彼れが顏《かんばせ》は、浮きたる色を愛《め》づる世の中に、そも幾その人を惱しけん。かの宵にすら、かの老女を捉へて色清げなる人の、嫉ましや、早や彼が名を尋ねしとさへ言へば、思ひを寄するもの我のみにてはなかりけり。よしや他《ひと》にはあらぬ赤心《まこと》を寄するとも、風や何處と聞き流さん。浮きたる都の艷女《たをやめ》に二つなき心盡しのかず/\は我身ながら恥かしや、アヽ心なき人に心して我のみ迷いし愚さよ。
 待てしばし、然《さ》るにても立波荒《たつなみあら》き大海《わたつみ》の下にも、人知らぬ眞珠《またま》の光あり、外《よそ》には見えぬ木影《こかげ》にも、情《なさけ》の露の宿する例《ためし》。まゝならぬ世の習はしは、善きにつけ、惡しきにつけ、人毎《ひとごと》に他《ひと》には測られぬ憂《うき》はあるものぞかし。あはれ後とも言はず今日の今、我が此思ひを其儘に、いづれいかなる由ありて、我が思ふ人の悲しみ居らざる事を誰か知るや。想へば、那《か》の氣高《けだか》き※[#「※」は「くさかんむり」の下に「月+曷」、第3水準1−91−26、19−12]《らふ》たけたる横笛を萍《うきくさ》の浮きたる艷女《たをやめ》とは僻《ひが》める我が心の誤ならんも知れず。さなり、我が心の誤ならんも知れず。鳴く蝉よりも鳴かぬ螢の身を焦すもあるに、聲なき哀れの深さに較《くら》ぶれば、仇浪《あだなみ》立てる此胸の淺瀬は物の數《かず》ならず。そもや心なき草も春に遇へば笑ひ、情《じやう》なき蟲も秋に感ずれば鳴く。血にこそ染まね、千束なす紅葉重《もみぢがさね》の燃ゆる計りの我が思ひに、薄墨の跡だに得還《えかへ》さぬ人の心の有耶無耶《ありやなしや》は、
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