》と有り難けれ。夢にも斯くと知りなば不肖時頼、直ちに後世《ごせ》の御供《おんとも》仕《つかまつ》るべう候ひしに、性頑冥にして悟り得ず、望みなき世に長生《ながら》へて斯かる無念をまのあたり見る事のかへすがへすも口惜しう候ふぞや、時頼進んでは君が鴻恩の萬一に答ふる能はず、退いては亡國の餘類となれる身の、今更|君《きみ》に合はす面目も候はず。あはれ匹夫の身は物の數ならず、願ふは尊靈の冥護を以て、世を昔に引き返し、御一門を再び都に納《い》れさせ給へ』。
急《せ》きくる涙に咽《むせ》びながら、掻き口説《くど》く言《こと》の葉《は》も定かならず、亂れし心を押し鎭めつ、眼を閉ぢ首《かうべ》を俯して石階の上に打伏《うちふ》せば、あやにくや、沒落の今の哀れに引き比《くら》べて、盛りなりし昔の事、雲の如く胸に湧き、祈念の珠數にはふり落つる懷舊の涙のみ滋《しげ》し。あゝとばかり我れ知らず身を振はして立上《たちあが》り、踉《よろ》めく體を踏みしむる右手の支柱、曉の露まだ冷やかなる内府の御墳《みはか》、哀れ榮華十年の遺物《かたみ》なりけり。
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盛りの花と人に惜しまれ、世に歌はれて、春の眞中に散りにし人の羨まるゝ哉。陽炎《かげろふ》の影より淡き身を憖《なまじ》ひ生《い》き殘りて、木枯嵐《こがらし》の風の宿となり果てては、我が爲に哀れを慰むる鳥もなし、家仆れ國滅びて六尺の身おくに處なく、天低く地薄くして昔をかへす夢もなし。――吁々思ふまじ、我ながら不覺なりき、修行の肩に歌袋かけて、天地を一爐と觀ぜし昔人も有りしに、三衣を纏ひ一鉢を捧ぐる身の、世の盛衰に離れ得ず、生死流轉の間に彷徨《さまよ》へるこそ口惜しき至りなれ。世を捨てし昔の心を思ひ出せば、良しや天落ち地裂くるとも、今更驚く謂れやある。常なしと見つる此世に悲しむべき秋もなく、喜ぶべき春もなく、青山白雲|長《とこしな》へに青く長へに白し。あはれ、本覺大悟の智慧の火よ、我が胸に尚ほ蛇の如く※[#「※」は「螢の虫部分を火」、読みは「まつ」、第3水準1−87−61、86−12]《まつ》はれる一切煩惱を渣滓《さし》も殘らず燒き盡せよかし。
斯くて瀧口、主家の大變に動きそめたる心根を、辛《から》くも抑へて、常の如く嵯峨の奧に朝夕の行《ぎやう》を懈らざりしが、都近く住みて、變り果てし世の様を見る事を忍び得ざりけん、其年七月の末、久しく住みなれし往生院を跡にして、飄然と何處ともなく出で行きぬ。
第二十八
昨日は東關の下に轡《くつわ》竝《なら》べし十萬騎、今日は西海の波に漂ふ三千餘人。強きに附く人の情なれば、世に落人の宿る蔭はなく、太宰府《だざいふ》の一夜の夢に昔を忍ぶ遑もあらで、緒方《をがた》に追はれ、松浦に逼られ、九國の山野廣けれども、立ち止《と》まるべき足場もなし。去年《こぞ》は九重《こゝのへ》の雲に見し秋の月を、八重《やへ》の汐路《しほぢ》に打眺《うちなが》めつ、覺束なくも明かし暮らせし壽永二年。水島《みづしま》、室山《むろやま》の二戰に勝利を得しより、勢ひ漸く強く、頼朝、義仲の爭ひの隙《ひま》に山陰、山陽を切り從へ、福原の舊都まで攻上《せめのぼ》りしが、一の谷の一戰に源九郎が爲に脆くも打破られ、須磨の浦曲《うらわ》の潮風に、散り行く櫻の哀れを留めて、落ち行く先は、門司《もじ》、赤間《あかま》の元の海、六十餘州の半を領せし平家の一門、船を繋《つな》ぐべき渚《なぎさ》だになく、波のまに/\行衞も知らぬ梶枕《かぢまくら》、高麗《かうらい》、契丹《きつたん》の雲の端《はて》までもとは思へども、流石《さすが》忍ばれず。今は屋島《やしま》の浦に錨《いかり》を留めて、只《ひた》すら最後の日を待てるぞ哀れなる。
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壽永三年三月の末、夕暮近《ゆふぐれちか》き頃、紀州《きしゆう》高野山を上《のぼ》り行く二人の旅人《たびびと》ありけり。浮世を忍ぶ旅路《たびぢ》なればにや、一人は深編笠《ふかあみがさ》に面《おもて》を隱して、顏容《かほかたち》知《し》るに由なけれども、其の裝束は世の常ならず、古錦襴《こきんらん》の下衣《したぎ》に、紅梅萌黄《こうばいもえぎ》の浮文《うきあや》に張裏《はりうら》したる狩衣《かりぎぬ》を着け、紫裾濃《むらさきすそご》の袴腰、横幅廣く結ひ下げて、平塵《ひらぢり》の細鞘、優《しとやか》に下げ、摺皮《すりかは》の踏皮《たび》に同じ色の行纏《むかばき》穿ちしは、何れ由緒《ゆゐしよ》ある人の公達《きんだち》と思はれたり。他の一人は年の頃廿六七、前なる人の從者《ずさ》と覺しく、日に燒け色黒みたれども、眉秀いで眼涼しき優男《やさをとこ》
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