ぬ。盛衰興亡はのがれぬ世の習なれば、平家に於て獨り歎くべきに非ず。只々まだ見ぬ敵に怯《おそれ》をなして、輕々《かろ/″\》しく帝都を離れ給へる大臣殿《おとゞどの》の思召こそ心得ね。兎《と》ても角ても叶はぬ命ならば、御所の礎《いしずゑ》枕《まくら》にして、魚山《ぎよさん》の夜嵐《よあらし》に屍《かばね》を吹かせてこそ、散《ち》りても芳《かんば》しき天晴《あつぱれ》名門《めいもん》の末路《まつろ》なれ。三代の仇《あだ》を重ねたる關東武士《くわんとうぶし》が野馬の蹄《ひづめ》に祖先《そせん》の墳墓《ふんぼ》を蹴散《けちら》させて、一門おめ/\西海《さいかい》の陲《はて》に迷ひ行く。とても流さん末の慫名《うきな》はいざ知らず、まのあたり百代までの恥辱なりと思はぬこそ是非なけれ。
 瀧口はしばし無念の涙を絞りしが、せめて燒跡《やけあと》なりとも弔はんと、西八條の方に辿り行けば、夜半《よは》にや立ちし、早や落人《おちうど》の影だに見えず、昨日《きのふ》までも美麗に建て連《つら》ねし大門《だいもん》高臺《かうだい》、一夜の煙と立ち昇《のぼ》りて、燒野原《やけのはら》、茫々として立木《たちき》に迷ふ鳥の聲のみ悲し。燒け殘りたる築垣《ついがき》の蔭より、屋方《やかた》の跡を眺《なが》むれば、朱塗《しゆぬり》の中門《ちゆうもん》のみ半殘《なかばのこ》りて、門《かど》もる人もなし。嗚呼《あゝ》、被官《ひくわん》郎黨《らうたう》の日頃《ひごろ》寵《ちよう》に誇り恩を恣《ほしいまゝ》にせる者、そも幾百千人の多きぞや。思はざりき、主家《しゆか》仆《たふ》れ城地《じやうち》亡《ほろ》びて、而かも一騎の屍《かばね》を其の燒跡《やけあと》に留むる者《もの》なからんとは。げにや榮華は夢か幻《まぼろし》か、高厦《かうか》十年にして立てども一朝の煙にだも堪へず、朝夕|玉趾《ぎよくし》珠冠《しゆくわん》に容儀《ようぎ》正《たゞ》し、參仕《さんし》拜趨《はいすう》の人に册《かしづ》かれし人、今は長汀《ちやうてい》の波に漂《たゞよ》ひ、旅泊《りよはく》の月に※[#「※」は「あしへん+令」、読みは「さす」、83−9]※[#「※」は「あしへん+并」、読みは「ら」、83−9]《さすら》ひて、思寢《おもひね》に見ん夢ならでは還《かへ》り難き昔、慕うて益なし。有爲轉變《うゐてんぺん》の世の中に、只々最後の潔《いさぎよ》きこそ肝要なるに、天に背《そむ》き人に離れ、いづれ遁《のが》れぬ終《をはり》をば、何處《いづこ》まで惜《を》しまるゝ一門の人々ぞ。彼を思ひ是を思ひ、瀧口は燒跡にたゝずみて、暫時《しばし》感慨の涙に暮れ居たり。
 稍々《やゝ》ありて太息《といき》と共に立上《たちあが》り、昔ありし我が屋數《やしき》を打見やれば、其邊は一面の灰燼となりて、何處をそれとも見別《みわ》け難し。さても我父は如何にしませしか、一門の人々と共に落人《おちうど》にならせ給ひしか。御老年の此期《このご》に及びて、斯かる大變を見せ參らするこそうたてき限りなれ。瀧口|今《いま》は、誰れ知れる人もなき跡ながら、昔の盛り忍ばれて、盡きぬ名殘《なごり》に幾度《いくたび》か振※[#「※」は「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11、84−3]《ふりかへ》りつ、持ちし錫杖《しやくぢやう》重《おも》げに打ち鳴らして、何思ひけん、小松殿の墓所《ぼしよ》指《さ》して立去りし頃は、夜明《よあ》け、日も少しく上《のぼ》りて、燒野に引ける垣越《かきごし》の松影長し。

   第二十七

 世の果《はて》は何處《いづこ》とも知らざれば、亡《な》き人の碑《しるし》にも萬代《よろづよ》かけし小松殿内府の墳墓《ふんぼ》、見上ぐるばかりの石の面に彫り刻みたる淨蓮大禪門の五字、金泥《きんでい》の色洗《いろあら》ひし如く猶ほ鮮《あざやか》なり。外には沒落の嵐吹き荒《す》さみて、散り行く人の忙しきに、一境|闃《げき》として聲なき墓門の靜けさ、鏘々として響くは松韵、戞々《かつ/\》として鳴るは聯珠、世の哀れに感じてや、鳥の歌さへいと低し。
 墓の前なる石階の下に跪《ひざまづ》きて默然として祈念せる瀧口入道、やがて頭を擧げ、泣く/\御墓に向ひて言ひけるは、『あゝ淺ましき御一門の成れの果《はて》、草葉《くさば》の蔭に加何に御覽ぜられ候やらん。御墓の石にまだ蒸《む》す苔とてもなき今の日に、早や退沒の悲しみに遇はんとは申すも中々に愚なり。御靈前に香華《かうげ》を手向《たむ》くるもの明日よりは有りや無しや。北國《ほつこく》、關東《くわんとう》の夷共《えびすども》の、君が安眠の砌《には》を駭かせ參らせん事、思へば心外の限りにこそ候へ。君は元來英明にましませば、事今日あらんこと、かねてより悟らせ給ひ、神佛三寶に祈誓して御世《みよ》を早うさせ給ひけるこそ、最《い
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