悟れ、一瞬の須臾なるも、千歳の久しきも、天地の無※[#「窮」の「弓」に代えて「呂」、242−下−4]なるに比すれば等しく是れ一刹那なるにあらずや。名、其の死と共に滅するも、死後千年を經て亡ぶるも、其の終りあるに至つては一なり。人、生を此世に享け、此一時の名を希ふ、五十年の目的、遂に之に過ぎざるか。予甚だ之に惑ふ。
功名朝露の如し、頼むべからず、人生|終《つひ》に奈何。藐然《ばくぜん》として流俗の毀譽に關せず、優游自適其の好む所に從ふ、樂は即ち樂なりと雖も、※[#「虫+惠」、第4水準2−87−87]蛄草露に終ると孰《いづ》れぞや。栖々遑々、時を匡《たゞ》し道に順《したが》ひ、仰いで鳳鳴を悲み、俯して匏瓜を嘆ず、之を估《う》りて售《う》れざらんことを恐れ、之を藏めて失はんことを憂ふ、之れ正は即ち正なりと雖も、寧ろ鳥獸の營々として走生奔死するに等しきなきか。光を含み世に混じ、長統の跡を尋ね劉子の流を汲み、濁醪一引、俯して萬物の擾々焉たるを望むは、快は即ち快なりと雖も、醉生夢死、草木と何ぞ擇ばん。吁、人は空名の爲に生れたるか、將《は》た行樂せんが爲に生れたるか。果して然らば是れ夸父《くわ
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