ふ》日を追ふの痴を學ぶにあらざれば、禽獸草木と其命を等しうせんとするものなり。予甚だ之に惑ふ。
南華老人は言へらく、大覺ありて其の大夢なるを知ると。佛氏は諭すらく、離慾の寂靜は四諦を悟る所以なりと。已《や》めよ、若し人生を以て夢となさば、迷へるも悟れるも、等しく是れ夢にあらずや。縱ひ身を觀じて岸頭籬根の草とし、命を論じて江邊不繋の船となすも、期する所は一の墓門にあらずや。生前の事業、夢中の觀の如く、死後の名聞、草露の如くんば、茫然たる吾が生、夫れ何くにか寄せん、大哀と謂はざるべけんや。嗚呼人生終に奈何。予、往を顧み來を慮り、半夜惘然として吾れ我れを喪《うしな》ふ。
[#地から2字上げ](明治二十四年六月)
底本:「日本現代文學全集 8」講談社
1967(昭和42)年11月19日発行
入力:三州生桑
校正:門田裕志、小林繁雄
2004年2月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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