は横浜の生まれで、土地で家具の彫刻などやっていた。後に私の門下に来ましたが、なかなか才気のある人で、腕もかなり達者になった頃、米国へ行き詩などを作り、詩人としてはどうか知りませんが、先年帰朝して指月という名で雑誌などに筆を執っておった。今日はまた米遊中であります。
 佐野喜三郎君、この人も文筆の人で角田浩々歌客《かくだこうこうかきゃく》と号した新聞記者の弟で、私の門下に来てなかなか前途のあった青年であったが、途中文学に代り、天声という名で物を書いておった。今日は郷里|駿河《するが》富士郡に帰っている。
 増田光城君、この人はなかなか綿密な人で作もまた驚くほど綿密であった。気の毒なことには郷里で学友と猟に行き、散弾を頭に中《あ》てられて負傷したため健康を害し、製作も前のように行かなくなった。古社寺保存会の用向きで紀州熊野に行きそのまま帰らず、今日は消息も絶えている。
 荒川嶺雲君、島根の人で、私の門を去ってから、今日も郷里にて研究を続けている。
 小泉徳次君は、鎌倉|雪《ゆき》の下《した》に住み、鎌倉彫りの方をやっている。この人は私が猿を彫った時分にいた弟子の一人です。
 根岸昌雲君、京
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