)は熊本県人。今日は熊本市本妙寺清正公の地内に彫刻をやっているとの事です。
平櫛田中《ひらくしでんちゅう》君は人の知る如く日本美術院の同人である。大阪で修業をされ、中年に私の門下となった。朝雲君等と同じく手を取って教えた人ではない。出身地は備後《びんご》であったかと思います。
山田泰雲君は元|篆刻《てんこく》師の弟子であったが、芦野楠山先生の世話で師の許《ゆるし》を得て私の門下となった。大分出来て来て、これからという処で病歿しました。
前島孝吉君は幼少の時から私宅へ参り、中年米国へ渡り、今日に至るまで、まだ帰って来ません。
明珍恒男《みょうちんつねお》君は深川|森下《もりした》の生まれ、初めは私の弟子で、後美術学校入学、卒業後、古社寺保存会の新納忠之介氏の助手として奈良に行き、古彫刻修繕の方を専《もっぱ》らやっている。
毛利教武君は浅草小島町の生まれで、私の門下となって美術学校に入り、卒業後研究を続けられている。
薬師寺行雲君は本所|茅場町《かやばちょう》の松薪問屋の息で、家が資産家であるから、いろいろなことを研究し盆栽、小鳥、尺八、書画のことなどいずれも多芸であるが、最後
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