であります。
それから、古い四天王をあてがって彫らして見ると、すぱすぱとこなしてなかなか達者ですが、こういう性質の子供は学校に入れ、正式に勉強させた方が好かろうと思い、美術学校へ入学させました。もっとも、これは秦源祐翁の方で都合して学資をこしらえてやったのであります。卒業後もトントン拍子に何かと都合よく行ったらしく、今日は美術学校の木彫部《もくちょうぶ》の助教授となっています。帝展に数度出品して特選になり立派な技術家です。それから、今一人、私の弟子には違いないが、家筋からいえば私の師匠筋の人――私の師匠東雲師の孫に当る高村東吉郎君(晴雲と号す)があります。この人のことは、前に東雲師歿後の高村家のことを話した処でいい置きましたから略します。
それから、現在のことにわたりますが、ついこの間まで家にいた吉岡宗雲君は、京都|高辻《たかつじ》富小路《とみのこうじ》の仏師の悴で、今は郷里に帰っており、次に奈良多門町の大経師《だいきょうじ》の悴で、鏑木寅三郎君は紫雲と号す。これは昨年卒業し、現在府下滝の川の自宅にて勉強しつつあります。
その次に、九州|久留米《くるめ》出生で、上野義民というのは
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