卒業をして後、今日私の工場に通勤して盛んに働いております。
また、今一人は山口県|小郡《おごおり》町仏師田坂雲斎氏の甥《おい》で、田坂源次号柏雲といい、これは最早近々卒業、なかなか勉強家で、本年の帝展出品製作も盛夏の頃より夜業に彫刻して首尾よく入選しました。
このほかに茨城県|稲田《いなだ》出生の小林三郎、これはまだ本の初めでありますから名前だけ記して置きます。
こう数えて来ると、西町時代から今日まで、随分歳月も長く、弟子としての人数も多いことで、おおよそ六十名もありますが、その中には名の落ちた人もありましょう。有為の材を抱いて若死にしたものもあります。また天性に従って一家を為《な》した人もあります。こういう人々の身の上を思えば、決してまた他事《ひとごと》でなく、自分が十二歳の時に蔵前《くらまえ》の師匠の家に行き、年季奉公を致した時から以来のことなども思い合わされ、多少の感慨なき能《あた》わずともいわばいわれます。それに師匠といい、弟子と申し、共に縁あってこそ、かくは一つ家根《やね》に住み、一つ釜《かま》の御飯をたべ、時には苦労を共にし、また楽しみをも共にし、ひたすらお互いに斯道
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