ら、一層心を配っていたのでありますが、氏は心のたまか[#「たまか」に傍点]な人で、そういう時に得たものを無駄に使わず何かの役に立てるつもりで貯えてあったものと見えます。或る日、氏は人なき処で私に向い、
「先生、近頃お見かけしていますに、先生も御不幸があったりしてなかなかお骨が折れるように思われます。差し出るようですが、私は少し位は持っています。どうか御融通なすって下さい」
との事。私は米原氏の日頃からの気性は知っているが、この際こういわれてうれしく思いました。
「どうも君の心づかい、うれしく思います。お察しの通り、私は今困っている。弟子の君から、そういう心づかいをされては倒《さか》さま事だが折角のお志|故《ゆえ》、では辞退せず暫時《しばし》拝借することにしよう」
といって百円を融通してもらいました。この時は本当に心掛けの好い人だと思ったことでありました。この融通してもらったものは、農商務省から、猿を納めた時に下った金で返済しましたが、弟子から恩を着たこと故、特に申し添えて置く訳である。
氏は大正十四年四月十七日年五十六で歿しました、実に惜しみても余りありです。
それから小石川水道
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