幕末維新懐古談
谷中時代の弟子のこと
高村光雲

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)谷中《やなか》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)この頃|流行《はや》っている

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)こうず[#「こうず」に傍点]
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 さて、谷中《やなか》(茶屋町)時代になって俄《にわか》に弟子が殖《ふ》えました。
 これは私がもはや浪人しておらんからで、東京美術学校へ奉職して、どうやら米櫃《こめびつ》には心配がなくなったからであります。そこで私はこの際奮発して出来得る限り弟子の養成に取り掛かろうと思いました。それに私の名が、ずっと社会的に現われて参って時々新聞などに私の作品の評判なども紹介される処から、地方にも名が謳《うた》われるようになって来ていました。
 谷中に来て第一に弟子にしてくれといって訪ねて来た人は米原雲海氏でありました。
 この人は出雲《いずも》の国、安来《やすき》の人、この頃|流行《はや》っている安来節の本場の生まれの人であります。米原氏は私の処へ参った多くの弟子の中で最も変ったところのある人
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