であった。東京へ出るまでには、故郷で大工をしていた。主《おも》に絵図引きの方で行く行くは好い棟梁《とうりょう》になるつもりであったが、京都、奈良を遍歴してしきりと古彫刻を見て歩いている中に、どうも彫刻がやりたくなって来た。しきりにその希望が烈《はげ》しくなったけれども、好い師匠がないので困っている中、京都で彫金家の海野美盛《うんのびせい》氏を知り、かねての希望を話して相談すると、君にそういう固い決心があるのなら、東京の高村先生に僕がお世話をしようというので雲海氏は大いによろこび、故郷に帰り、非常な決心で、その頃既に氏は妻子のあった身ですから、妻子にも自分の覚悟を話し、東京へ出て彫刻を三年間修業して来るから、その間留守をよろしくたのむ、子供のことをたのむと打ち明けました。妻女も夫の堅い決心を知っては強いて引き止めることも出来ず、では行ってお出《い》でなさいまし、貴郎《あなた》のお留守中は確かにお引き受けしました、どうか、錦《にしき》を着て故郷へお帰りなさるよう、私は三年を楽しみにして待っておりますとの事に、雲海氏も大いに安心して東京へ出て来たのでありました(雲海氏に妻子のあったことは私は
前へ 次へ
全19ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング