く修業をされた。君の三年は他の人たちの六、七年にも相当しよう。もはや国へ帰っても、さして彫刻家として恥ずかしからぬと思われる。それにつけて帰国する前に何か目星《めぼ》しい作をしては如何……」
 こういうような話をしました。米原氏もかねがねそう思っていたであろう。やがて一つの大作を初めました。それは衣川《ころもがわ》の役を主題としたもので、源義家と安倍貞任《あべのさだとう》とが戦中に立て引きをする処、……例の、衣の楯《たて》はほころびにけりという歌の所であります。薄肉で横二尺以上、縦四尺以上でなかなかよく出来ました。これは彫工会であったか、美術協会であったか、ちょっと忘れましたが、いずれかへ出して好評で、銀賞を取りました。そして安田善次郎氏が百何十円かで買い取りました。当時の百円以上の製作は珍しい方であった。
 米原氏はこの手柄を土産にして国へ帰りました。私は思うに、この事あるも決して偶然ではない。……というのは、米原氏の出生地は出雲であって、松平不昧《まつだいらふまい》侯や小林如泥《こばやしじょでい》、荒川鬼斎などの感化が土地の人の頭に残っているので、美術的に自然心が養われている。おそ
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