時に触れ、こういうことをしばしば見受ける。どうも米原氏は権幕《けんまく》が違う。仕事に取っ附き方が他《ひと》と異っている。何んということなしに一生懸命、真剣勝負という態度が見えますので、私も教えかたを考えて、彫刻製作の順序を踏んで最初から一々規則的に仔細に教え込んで行きました。この教え方は、道も長いし、迂遠《うえん》なようであるが、落ちつく処へ落ち附くとかえって歩みは速《すみ》やかで、どんどんと捗取《はかど》るのであります。だから習《おそ》わる方になってもこの習わり方がかえって近道なので、急がば廻れで、遠国から出て来て、三年の修業というようにあらかた日限を切って自分の仕事を物にしよう、目的を果そうという真剣態度の人には、これがかえって苦しいようだが楽な法で、また廻り遠いようだが近い道であるのでありました。
 米原氏はすっかり、その製作順序を順序的にのみ込み、今いうように見物をするでもなく、仕事場を自分の居所《いどころ》にして、彫り物と首っぴきで、一向専念に勉強されたのであった。
 その時分のことで、米原氏は元大工さんであったから、大工の方のことも無論出来るが、或る時、下駄をこしらえた。
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