にしました。自分持ちで通える人は通ってもらい、また食べることが出来ず、居《い》る所のない人は、家へ置いて食べさせるようにしまして、なるべく自分の方を切りつめ切りつめして、一人でも多く弟子を作ることに心掛けましたので、次第にその数が多くなったことであるが、その中でこの米原氏はなかなか感心なところのあった人で、また大分他とは異《ちが》った処がありました。今日でも世評はいろいろあるかも知れませんが、初めて私の玄関へ来てから以来、その熱心さというものは到底普通では真似《まね》の出来ない処がありました。もっとも故郷《くに》を出る時の意気が違うから、自然その態度がはげしいのでありましょうが、たとえば、毎日通って来るようになってからも、上京早々のこと故、上野、浅草と少しは見物もして歩きたいのは誰しも人情であろうが、私が仕事場へ出て見て、今日は休日であるから、他の弟子たちはいずれも遊びに出払っているような場合でも、米原氏だけは、チャンと仕事場におって、道具を磨《みが》いているとか、木ごしらえをしているとか、何かしら、彫刻の事をやっているのである。私とても一々弟子たちのことを監視しているわけでもないが、
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