いる身でありながら、自分たちからは異《ちが》った材料でやっている仕事の工合は一体どんなものだろう。木彫《もくちょう》をやってる彼の人たちの、腕を一つ見てみよう位の気は起りそうなもの、こっちでは随分毎日仕事の合間《あいま》に石屋のこつこつ叩《たた》いている処を見て、もうあの獅子の頭が見えて来た、狐の尻尾《しっぽ》があらわれたと、形の如何《いかん》はとにかく、段々と物の形の現われて来るのを楽しみにする位にして見てもいるのに、石屋の職人たちの気のなさ加減にもほどがあると、余計なことですが、私はそう思いました。そう思うにつけて、何かこちらでも石を彫って見たい気持になる。石というものも彫れば我々にも彫れるものか――彫って見れば彫れぬこともあるまい。彫れば、まさかにあんな形を平気でやりもしない。どうせ、物を彫るものなら、もう少し、石であっても物の形を研究すれば好いのに、あれでは石の材料が可哀《かわい》そう……一つ石を彫って、もっと物らしい物をこしらえて見たい……というような物数寄《ものずき》な気が起るのでありました。
それで、或る時、毎度話に出ました例の馬の後藤貞行さんに逢った時、私がこの話をし
前へ
次へ
全19ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング