不用になり売っても好いというのであった。もっと高かったのを平尾さんとの知り合いのために負けて七百十五円としたということでした。
いよいよ家の登記は済みましたが、手入れをしたり、また七畳の隠居所のような坐敷があるが、これは私の仕事部屋に使うことにして、地所内に別に父の這入る隠居所を建てました。それが百五十円。母家《おもや》の方は九畳の坐敷に八畳の中《なか》の間《ま》、六畳の居間、ほかに二畳と三畳と台所、それに今の隠居所でした。
父も這入る前に一度見に来まして大変気に入りました。当時住まっていた谷中町の家も気に入ってはいたが、今度は自分たちの持ち家となることで、一層閑静なことや、水の好いことや、茅葺の風流なことや、庭が広く寂《さ》びていることなど、好いとなると一々気に入りました。隠居所も出来たことでいよいよ十一月の幾日であったか谷中を引っ越しこれへ移りました。藤井という人もなかなか風流な人で、私が移る日に床《とこ》の間《ま》に一行物《いちぎょうもの》を掛け、香を焚《た》いて花までさしてありました。これは今でも忘れません。よい心持でした。その後も藤井氏はこの辺へお出での時はお寄りになり
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