ます。

 彫りかけの猿はこの時一緒に引っ越しました。モデルの猿は用が済んで飼い主に返しました。仕事の方は荒彫りが済んだ処で、これから仕上げに掛かろうというところでした。初めよりも目方で減っていたこと故、離れの七畳の方へ担《かつ》ぎ込み、仕上げを初めました。ところが、重味で真ん中の根太《ねだ》が凹《へこ》んで困りましたが、それなりでとうとう翌年の二月に仕上げ、農商務省へ納めました。やっとシカゴの博覧会出品に間に合ったことであった。
 米国シカゴの博覧会には、日本から塩田真氏などが渡米されました。私の老猿の彫刻は日本の出品でかなり大きい木彫りであるから欧米人の注目を惹《ひ》いたが、ちょうど陳列の場所でロシアと向い合っていたので、あの、老猿が鷲《わし》の毛を掴《つか》んで一方を眺《なが》めている図を、何か諷刺《ふうし》的の意味でもあるように取って一層評判されたということでありました。それから、入場者が老猿の前を通ると、猿の膝頭《ひざがしら》を撫《な》でて通るので膝の頭が黒くなったなどいうことでした。これは塩田真氏が帰朝してのお話であります。今日、その作は、帝室博物館にあるそうです。
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