てしまって、後へ杉苗とか桐苗を植えるような始末で、栃の木は貰い手があればただでもくれたい位なものになっているのですから、東京から、ただでもいらないものを金出して買いに来るとは、物数寄《ものずき》な人もあったものというような顔を宿屋の主婦がしていたのも道理《もっとも》、一本三円でも高いといった言葉も本当のことでありました。
さて、翌日実地検分に出掛けました。
山猿のような例の老爺《おやじ》が先に立って私と後藤君とは山道に掛かりましたが、左の方は断崖絶壁……下を覗《のぞ》いて見ると、幾十丈とも分らぬ谷底の水が紺青《こんじょう》色をして流れている。それを見ると、もう一足も先に出ないような気がします。というのはその断崖の山の半腹から道がその絶壁の谷へと流れていて、それを我々は攀《よ》じているのですから、ひょっと踏みはずせば、千尋の谷底へ身体《からだ》は落ちて粉微塵《こなみじん》となるわけです。しかし、山猿のような人間には、何んでもないこと、木の枝|岩角《いわかど》などに縋《すが》って、私たちの手を引っ張り上げてくれなどして、漸々《だんだん》木のある場所まで登りましたが、さあ、今度は降りる
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