たように記憶しています。それを思うと、二百円も高いものではなかったのです。
私は、いよいよ猿を彫ろうと目論《もくろん》でいる処へ、八月の末に娘が加減が悪くなり、看護に心を尽くした甲斐もなく、九月九日に亡くなってしまいましたので、私の悲しみは前にも申したような次第で、一時は何をする気も起りませんでしたが、こういう時に心弱くてはと気を取り直し、心の憂《う》さを散らすよすがともなろうかと、九月十一日娘の葬送を済ますと直ぐに取り掛かったことでした。
もはや、明治二十五年も九月の半ば、農商務省からの日限はその年の十二月のさし入れに製作を納めなければならんという注文。今日から手を附けても、随分時期は遅れております。木は庭に雨掩《あまおお》いをこしらえて、寝かせたままで、動かすことも出来ません。何しろ一片が九十貫もあるのですから……。
そこで、いよいよ鑿《のみ》を入れて見ましたが、栃は木地の純白なものと思っていたのは案外。この材の色は赤黒く、まるで桜のように茶褐色《ちゃかっしょく》でありますので、最初の白猿を彫ろうという予期を裏切られました。しかし、材質はなかなかよろしく、彫刻には適当であ
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