りました。栃の木の木地の純白なのは若木のことで、この木のように年を経ては茶褐色を呈して来るものかと思いました。
 白猿の当てははずれたが仕方なく、考えを変えて野育ちの老猿を彫ることにしました。とても仕事場へ運んで屋根の下で仕事をすることは出来ませんので、庭の野天で、残暑の中に汗みずくとなり、まず小口《こぐち》からこなし初めました。何しろこのような大きなものだから、弟子を使ってやりました。その頃|米原雲海《よねはらうんかい》氏も私の宅に来ていたので手伝い、また俵光石氏も手伝いました。

 娘のことで、ほとんど意気消沈しておりましたのが、この仕事で大いに勇気附けられ、また紛れました。
 それから、モデルはその頃浅草奥山に猿茶屋があって猿を飼っていたので、その猿を借りて来ました。この猿は実におとなしい猿で、能《よ》くいうことを聞いてくれまして、約束通りの参考にはなりました。物置きに縛《つな》いで置いたが、どんなに縄をむずかしく堅くしばって置いても、猿というものは不思議なもので必ずそれを解いて逃げ出しました。一度は一軒置いてお隣りの多宝院の納所《なっしょ》へ這入り坊さんのお夕飯に食べる初茸《は
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