言葉を改め、
「後藤貞行という人は右の如き人物。この度《たび》私が楠公の馬を彫刻するとなれば、従前の関係上、必ず助力をしてくれることでありますが、しかし、その助力を蔭のものにして、私が表面に立って、美事に馬が出来たとして、後藤氏の力がそれに多分に加わっているにもかかわらず、後藤氏は全く縁の下の力持ちになってしまうわけであります。その事を私は考えますと、どうしても後藤氏の手柄を殺すことは忍び兼ねますので、どうか後藤氏を公に使うようなことに、貴下の御斡旋《ごあっせん》を願います。これは私の折り入っての御願いであります……」
という意味を私は岡倉先生へ申し述べました。
「いかにも御尤《ごもっとも》です」
と岡倉さんはいわれ、
「では、早速、その後藤という人を傭《やと》いましょう」と快く承諾されたのでありました。私はこの言葉を聞いた時は、まことに延々《のびのび》するほど嬉《うれ》しく思いました。
岡倉覚三先生という方は、実に物解りの好い方であって、こういう場合、物事の是非の判断が迅《はや》く、そして心持よく人の言葉を容《い》れられる所は大人の風がありました。なお、岡倉先生は後藤氏への給料のこ
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