なたには馬が頭にある。木を彫ることさえ出来れば自然馬は彫れるわけです。お望み通り教えて上げましょう」
 こういいますと、後藤氏は大喜び。翌日から弁当持ちで通って来られたので、私は木取《きどり》を教えて上げた。
 暫く稽古をしている中に、後藤さんの馬が出来ました。これは規則的の、馬としては非難のない馬が出来た。後藤氏は、お蔭で馬が出来ましたといって、さも満足そうに礼をいわれ、それから一層気乗りがして来て勉強されて、いろいろ馬を彫られた処、その事が軍馬局に分り、主馬寮に分り、宮内省に分りして、後藤は馬を彫ることは上手だという評判が立って、後には馬専門の彫刻家となりましたので、今上《きんじょう》天皇がまだ御六歳の時、東宮《はるのみや》様と仰せられる頃御乗用の木馬までもこの人が作られたというような次第でありました。
 しかし、まだこれという大作はしない。それで、一生の仕事として、等身大の馬を製作し、招魂社にでも納めたいというのが日頃の願望……これほど、馬ということには熱心な人であったのであります。

 こういう一条の逸話を、私は岡倉校長へ後藤氏の名を紹介するためにお話したのであった。そこでまた
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