》が分るというほどに馬のことには詳しい。そういう馬熱心のために馬の絵を描きたいと思い立って日本画の稽古《けいこ》をしたが、どうも日本画では思うように行かない処から、油画の稽古を初めました。これは日本画では肉の高低、蔭日向《かげひなた》などが思うように行かないので、さらに洋画をやり出したのですが、洋画でも絵は平面のもので、そっくり丸写しに実物を写すには工合が悪いので、今度は彫刻をやり出しました。これは彫刻なら立体的に物の形が現われて都合が好いと考えたからであります。それで牛込《うしごめ》辺の鋳物師の工場で、蝋作りを習って、蝋を捻《ひね》って馬をこしらえました。
 まだ、未熟ではあるが、馬には通暁した人ですから、急所々々の間違いはないものを作った。後藤氏は彫刻ということよりも、馬その物を作るのが本意で、馬の標本になるようなものを作ろうというのが目的で、自分の考え通り一匹の馬を作り上げ、それを鋳物にしてもらう段になったのですが、不幸にしてふき[#「ふき」に傍点]損《そこな》って蝋を流してしまったので、折角苦心してこしらえた馬の形は跡形もなくなってしまった。それには後藤氏も実に驚いた。こんな迂
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