でありますが、馬上の楠公というので、差し当って馬の製作に取り掛からねばなりません。ついては、馬のことは、私は専門的に深く研究しておりません。普通の仕事であれば、また製作のしようもありますが、御承知の通り今度の馬は容易でありません。私一個の腕としてこの大物《おおもの》を立派にやり上げるということはお恥ずかしいが不安心であります……といって私の片腕となって立派にこの馬をやりこなせる人物は差し当り学校には見当りません……」
「なるほど、御もっともな話で……それは困りましたね。これは容易なことではありますまい」
「……学校には、馬の専門知識をもった人を見当りませんが、ここに私の親友に後藤貞行という人があります。この人は馬専門の彫刻家であります。……」
というところから、私は、後藤貞行氏の人為《ひととなり》と馬について研究苦心された概略《あらまし》を岡倉校長へ紹介しました。

 後藤貞行氏は、元は和歌山県の士族で、軍馬局へ勤めている。馬の調査のため奥州地方へ長らく出張して軍馬の種馬について研究し、馬のことといえばその熱心は驚くばかりで、目をねむっていてただ触《さわ》っただけでも馬の良否《よしあし
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