という所に楠公の腹巻きというものが一つあったそうで、これは正《まさ》しく当時のものであるし、何様《なにさま》、楠公の遺物ではないかと川崎氏はさらに調査を進めまして、皮を剥《は》がして見ると、中から正平《しょうへい》六年六月という年号が出て来ました。そうして見ると、楠公が没した後の製作だということが分ったので、川崎氏も失望したと同氏が当時私に話されたことを記憶していますが、万事、こういうような訳で、これは正しく楠公着用の鎧だと決定するに足る鎧はついに見つかりませんのでした。しかしまずこの腹巻きは近いものに相違なかろうとそこらを参酌したのでありますが、しかしまた馬上であって腹巻きはおかしいという説を出す人もあって、それもまた道理《もっとも》ということで、結局、鎧は大袖ということに決定しましたのですから、実際は、これに拠《よ》るというよりどころはなかったのであります。これは参考とすべきものがなかったから致《いた》し方《かた》ありません。ただし、楠公没後のものはしようがないが、それ以前、鎌倉時代より元弘年間にわたったものなら参考にして差《さ》し支《つか》えなかろうというので、楠公の服装はその辺
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