《かぶと》は信貴山の宝物になっている兜がどうしても楠公の兜と定めて置かなければ、それ以上その他に頼《たよ》るものがないというので、それを基として採ったのであります。けれどもこの兜には前立《まえだて》がないのです。柄《つか》が残っているので、前立は何んであるかと詮索《せんさく》をして見ると、これは独鈷《とっこ》であるということです。が、よく調べると、独鈷ではなくて、剣《つるぎ》の柄であろうという川崎先生の鑑定でありました。それから、また一方に同氏の調べた中に大塔宮護良《だいとうのみやもりなが》親王の兜の前立が楠公の兜の前立と同様なものであろうという考証が付いたのです。ちょうど時代も同時、親王と楠公との縁故も深し、前立のない処に柄が残っている所を見ると、剣の柄と相当するから、楠公の前立は剣であろう、ということに極《き》まりました。
それから、鎧《よろい》ですが、これは漠《ばく》としてほとんど拠所《よりどころ》がありません。大和《やまと》河内地方へ行けば、何処《どこ》にも楠公の遺物と称するものはいくらもあるけれども、一つも確証のあるものはない。皆後世人の附会したものばかりです。それで常明山
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