たっと》い名義を下し置かれたもので、既にこの名称だけを得られただけでも光栄至極の義であるが、その上になおこの御手当として年金を給されたということは、聖上の思し召しまことに何んとも有難い次第である。それでこの高大な優渥《ゆうあく》な思し召しに対しては充分に技芸員たるものは気を附けねばならぬことと思う。すなわち美術および美術工芸のことには一層忠実でなくてはならないこと、同時にまた後進子弟に対しては親切懇篤の心をもって指導することは申すまでもなし、既に帝室技芸員という名称の下に身を置くものは一層身の行いを正し、誠実を旨として、各自に行いのみだらでないよう、この名称に恥じないよう、天恩の有難いことを思うて身を慎み行いを励まなくてはならない……」という意味のことを話されたのでありました。私たち技芸員はまことに御尤《ごもっとも》のことであると存じたわけでありました。
この帝室技芸員のことはこれでおしまいでありますが、それにつけて、当時、私と石川光明氏とは互いに申し合わしたことには、実に今度の事は不思議なことであった。他の老齢の諸先生方がこの恩典に預かったことはあり得べきことと思われるが、われわ
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