生はその時美術学校の教官であったので、学校の正服を着けて、学生を率いて式場附近へ参列する途中であったということが分ったのでありました。私は実は早合点《はやがてん》をして竹内さんの好みで古代の服装でも真似《まね》て町内の行列へ這入ったのだと思ったことで、竹内さんが学校の教師になっていられることなどは少しも知りませんのでした。
憲法発布式のあったのは二月のこと。三月にはいって間もなく、或る日竹内|久一《きゅういち》氏が私宅《わたくしたく》を訪問されました。
「高村さん、今日は私は個人の用向きで来たのではありません。今日は岡倉覚三《おかくらかくぞう》氏の使者で来たのです」
という前置きで、その用件を話されるのを聞くと、私に美術学校へはいって、働いてもらいたいという岡倉氏の意を受けてお願いに来たのだということであった。私は寝耳に水で、竹内さんのいってることがちょっと要領を得ないので、
「一体、今お話しの美術学校というのは何んですか。またその学校は何処《どこ》です」
と聞くと、竹内さんもちょっと意外な顔をしていましたが、
「美術学校は上野にあります。現に私はその美術学校の教師を勤めているので
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