の方は大層な人出で、いろいろな催しがありましたが、その中に、何時《いつ》か家《うち》へお出《い》でになった竹内《たけうち》さんが行列の中に這入ってお出ででした。その行列は朝鮮人か支那人かというような風をして頭に冠をかぶり金襴《きんらん》の旗を立てて大勢が練って行きましたが、この行列が一番変っていました」
ということ。私はその話を聞いて、あの竹内さんは数寄者《すきしゃ》で変ったことが好きだから、町内の催しで、変った風をして行列の中に交ったのであろう、元禄風俗を研究したりしていなすったから、きっとその時代の故実を引っ張り出して面白い打扮《なり》をやったのであろう、など私は話したことでありました。
その日憲法発布の式場へ参列のため大礼服《たいれいふく》をつけて官舎を出るところを玄関前で文部大臣の森有礼《もりありのり》氏が刺客に刺されたのであった。お目出たいことのあった後の不祥事で人々は驚いていました。
それから、ずっと後《あと》になって、私が美術学校へ奉職するようになり、憲法発布式の当日に家内が上野で竹内先生が不思議な風をして行列の中に交っていたという話しの訳が分りました。それは竹内先
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