教頭という格で生徒がすべてで四十人位であったと思います。科は日本画と木彫《もくちょう》との二科であった。これは日本の在来の美術を保存しまた奨励するという趣旨の下にこの学校が出来たもののように見えました。日本画も木彫も古来から伝統的に日本の美術として立派に存在して来たものであるから、それを今日において、日本国民に普及させ、在来のものを一層発達させようという主意であったものと見えます。当時は普通科が二年と専修科が三年、合せて五年で卒業というのであった。普通科は絵画と木彫と両方をやった。そうして二年目になって、生徒は、絵画なり、木彫なり、自分の志望の科を選んで専修することになっていたので、普通科の二年間に生徒は充分自分の適当と思う道を撰むことも出来たので、今から思うと、この法は大変よかったように思われます。今日でも当時、普通科をやった人たちがよくこの普通科を修めたために、絵をやる方の人でもちょっと小刀が使え、木彫りをやる人の方でも、絵のことが分るというわけで、相当の用が足りるので都合が好いといっておりますが、全くそういう便利があって、これは重宝で好いと思うことであります。

 第一期の普通科
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