には、大村西崖《おおむらせいがい》、横山大観《よこやまたいかん》、下村観山《しもむらかんざん》、白井雨山《しらいうざん》、関保之助《せきやすのすけ》、岡本勝元、溝口禎次郎《みぞぐちていじろう》、島田|佳矣《よしなり》、本田佑輔、高屋徳太郎の諸氏でありました。専修科になって、絵の方と木彫りの方とへこの生徒は別れて行ったのであります。教師には狩野芳崖《かのうほうがい》(芳崖先生は私が這入った時には、既に故人となっておりました。氏は美術学校の前身が小石川《こいしかわ》の植物園にあって、まだ美術取調所といった時分から這入っていられたので、その時代は彼のフェノロサ氏が日本美術を鼓吹された時代であります)、橋本|雅邦《がほう》、川端玉章《かわばたぎょくしょう》、狩野|友信《とものぶ》、結城正明《ゆうきまさあき》などいう先生方が絵画の方を受け持たれ、木彫は竹内久一先生、それから私が這入ってその方をやっておった。私は二十二年の五月に本官の辞令を貰いまして教授ということになり、奏任官五等を拝命して、年俸五百円を給されました。



底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年1
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