鮮《あざ》やかで、しかも図の様が変って珍しい。非常に綺麗なものであるから見栄《みばえ》がある。材が檜であるから水々しく浮き立っている。これを見て幹部の人々もよろこんだことでありましたが、しかし、今日から見れば、まだまだすべてが幼稚なもので、今であったら彫り直したい位に感じますが、当時はこうした作風はまず嶄新《ざんしん》であって、動物を取り扱うことはこれまでもあるとしても、その行き方が従来の行き方と違って、実物写生を基として何処《どこ》までも真を追窮したやり方でありますから、本当のものを目の前に出されたような気が観《み》る人にも感じられて「これはどうも」といって感服されました。
私は、今も申した如く、人より早くから写生ということを心掛け、西洋の摺《す》り物のようなものから物の形を像《かたど》ったものは何んでも参考材料とし、一方にはまた自然に面して自然をそのまま写して行くことを長い間研究したことでありますが、……しかし、これもまだ解剖的に内部を根から掘り返して窮理的に看極《みきわ》めて行ったという所までは行かず、外観から物の形を見て研究した程度に止《とど》まることではありますけれども、何
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