なかなか能《よ》く出来て、原型をさらに仕生《しい》かすほどの腕で滞りなく皇居御造営事務局の方へ納まりました。私は、すなわち鋳物の原型を作ったというにとどまるわけであった。
そこで、毎度余り物の値を露《あら》わにいうようでおかしいが、これも参考となるべきことですから、いって置かねばなりませんが、私の原型を作った手間がどうかといいますと、狆の丸彫り四つで百円であった。一つが二十五円……今日の人が聞くと不思議と思う位でありましょう。その当時、檜の最良の木地が一つで一円五十銭二円もしたか。材料などのことは何とも思わない時分、今日で見れば木の値にも及ばぬ位のものでありましょう。しかし技術家としてはそういう問題は別のことで、製作に掛かってはただ一向専念で、出来るだけ腕一杯、やれるだけ突き詰めて行くことで、随分私もこの時は苦心をしました。彫工会の方でも余り気の毒だというので後で五十円御礼が参りました。
四頭の狆の製作は、彫工会の幹部の人たち、また実技家の方の人々の見る所となりました。私が、自分の口からいうのはおかしいけれども、これは大変に評判がよかった。というのは、第一見た所がいかにも派手で、
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