だということが分りました。同時に葉茶屋の方のは、狆と思っていたが、何んだか洋犬《かめ》のように見えて来て、どうも貧弱で、下品で、一緒に並んでいても「種」の方へは寄りつけないように見えて来ました。私もただ愛玩的に狆を飼ったのでなく、名誉な仕事の見本となる生きたモデルでありますから、真剣な態度でいろいろと骨格|態姿《たいし》を一々仔細に観察するのでありますから、物を公平に観ることが出来るのですが、少しも贔屓目《ひいきめ》を附けず、「種」の方が全く良種であることに得心《とくしん》が行きました。
もっとも、狆を見ることに巧者な人に話しても、両方の態姿や動作を二、三点いえば直ぐに「種」の方がずっと上手《うわて》なのだといいもしますし、見れば一見して「種」の方を好いというのでも証拠立てられました。
これも後に分ったことですが、畳ざわりのバサッという感じのするのは狆として良種であるのだそうです。こんな塩梅《あんばい》で一度に二頭の狆を坐敷に置いたようなことで、対比的に自然研究したようなわけで、随分狆ではおかしいほどに細かい処を見たものでありました。
さて、「種」をモデルにしていよいよ彫ること
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